本草薬膳学院へ①
・・・こんにちは😅。スーズーです
旦那さんのがんがきっかけになって薬膳を知り、それから沖縄で薬膳の教室に通ってから、薬膳友達と薬膳スイーツ🍩を作って販売したり、その間にも薬膳の講義や別の薬膳の授業を受けたりなんやかんやで1年半近く過ぎていってて、もう沖縄で勉強できる知識は頭打ちっていう状況だった。
その時はお菓子を作るのにはまってて🍩、このままパティシエの学校に行って資格をとって、薬膳スイーツ🧁のお店を開こう!と本気で考えてた。だから、パティシエの学校に願書もだして、面接試験を受けて合格通知ももらい、お金も払ってあとは学校に通うのみ!・・・というところまで行ってた。
それが2017年の3月の話。
でも、私は長い間、体調が悪い状態が続いてて・・・😰これは何とかしないといけないという状況
女性の皆さんならわかると思うけど、毎月の生理のね、辛さがさ、、、
その頃、私はすでに1年以上も10日~2週間おきに生理が来るという状況が続いてて・・・。😰
私は元々裕福な家庭で育ったわけではなく、中学校の頃には親が親戚の借金をかぶってしまい、毎日のご飯も事欠くくらいで、中学は給食があるのでそれで生きてきて(笑)その実家の借金を一緒に返してたからそれが完済したのが今から10年ちょっと前か・・・まあ、それはそれとして、出会ってきた人に恵まれてたから、今思うとやってよかった苦労かな?と思う。
だから中学生のころから貧血がひどくて、貧血からくる体調が悪いのは当たり前で慣れてしまってて、しかも生理の度にお腹の激痛と大量出血で動けなくなる前のは中学からでその度に痛み止めを飲んで・・・という繰り返し。ヤバい、、ヤバい、、、
さすがに30代後半の頃に「もう子供も産まないからいいや!」と思って「子宮を取ってください」と、産婦人科にお願いをするも3度ほど「まだ早いからもう少し様子見て」といわれたことがある。
でも、旦那さんが亡くなって後から更に体調がひどくなってて、血圧も上が80台で下は40台を切ることは日常的で、意識もなくなるという事も度々あって、これはもうちゃんと見てもらわないと、確実に死ぬな・・・と😱😱😱
その年の3月ごろ産婦人科に行き、ようやく子宮全摘出することが決まった!✊✊✊。
折角、パティシエ🍰の学校に合格して4月からは学校に通う事が決まっていたけど、これは仕方ない・・・
事情を話してパティシエの学校を辞退してお金も返金してもらった💦💦。
最初に行った産婦人科では手術の対応ができないという事で、別の産婦人科を紹介してもらい、手術の日程が9月と決まった♬
その間にちょっと美味しそうな名前(笑)のホルモン抗がん剤の一種の薬を毎月1回、手術する前まで4回注射することになった。
私はがんではないんだけど・・・😞😞😞
この出血を止めるために脳下垂体に作用して、偽閉経状態にして出血を止め貧血を改善し、更に子宮内で数えきれないくらい多くなった筋腫が更に増えるのも抑えられるとかで、一般的な手術前の標準治療ですよ~。と言われて受けることになった。
でも、もっと早くに中医学と出会っていたら、そういう体調不良も手術もしなくて済んだかもしれない・・・と本草に通ってから思った。
この美味しそうな名前の抗がん剤は、ほとんどの人は何の問題もないんだけど、私は結構食べ物アレルギーやお薬のアレルギーもあるからだと思うんだけど・・・私には合わなくて💦💦1回目から頭痛がひどくて2回目を受けたときに一種の認知症のような状態になった。
ある日、車で買い物に出かけたんだけど、途中で買い物に行くという「目的」を忘れてしまい、「あれ?・・・何やってんだっけ?」と仕方なく「帰ろう・・・」と思い、自宅に帰ろうとするんだけど、我が家に帰る道が判らない「たしか、この辺だったんだけど・・・」と思いながら車で20分ほど家の近所をぐるぐると回っていた。
ようやく思い出して帰宅したんだけど、これはやめた方がいいな・・・と思って、先生に話して2回でおさらばした。ε-(´∀`*)ホッ あれ以来は全く何ともない
その間、沖縄で仕事ではないけど、薬膳とのかかわりはあり、私がこんなに筋腫が増えて出血も酷く体調が悪いことが何故なのかっていう、中医学による症状の説明ができる人に出会えなかった。
その頃から「もし、この手術が成功して後遺症も無かったら、あの本の著者の辰巳洋先生の学校に通おう!」と考えるようになっていった。